天才と凡人の違いってなんだろうね

はーい、日が空きました。ソルナです。

皆元気してた? ん?

 

うん、誰もいないね! ヨシ!

 

っつーわけで、今回の話題です。

タイトルにもある通り、天才と凡才の違いとはなんやろか、ってことでいこうと思います。

 

えーと、先に断っておくと医学的な話をするつもりは毛頭ないです。

生憎、僕のおつむはそこまで良いものでもないのでね。精々、こうなんじゃねという妄想と綴るだけです。

 

はい、天才。

そう言われてどんな人を想像します?

 

アインシュタインガウスニュートンフェルマー……僕が十秒くらい考えて浮かんだのはこの人たちくらいです。

まぁ僕の学がないことが判明するのはこれくらいで良いんですけど、さて、この人たちと僕らって何が違うんでしょうね?

 

脳の構造からして違うんでしょうか?

 

いやぁ奥さん。んなわけないでしょうよと。

超能力者やミュータントじゃあるまいし、そんな脳の構造からして違うなんてことはねえだろと。

一応、おんなじ人間ですよ? 食べるし寝るしう〇ちもする。根っから違うことは流石におかしいだろうな、と。

ここまで考えたとこで、答え合わせ。

 

グーグル先生に聞いてみた所、上位にヒットした2件くらいさっと目を通しただけですが、何とマジで脳の構造自体にそんな差はないらしいですね。

 

……あー、一応怖いので補足しておくとグリア細胞っつう、生物やら医学やらの知識皆無な僕からしたら何言ってんだかみたいなもんはめっちゃ多いらしいですね。

 

でも、話を読む限り、それが知力との直接的な関係があるどうかはまだ研究中っぽいので、今は置いておきましょう。

 

んじゃ、脳が『天才』と『凡才』との間で差はないってことにして、じゃあ何が違うのって話。

ここからは僕の妄想なんで、支離滅裂なこと言ってたらすみません。

 

あ、てか、無意識のうちに『天才』を『滅茶苦茶頭が良い人』っていう風に考えてた。

良くないですね、ここで話したいのはもっと広義的な意味での『天才』です。

 

彼らって、『自分の世界に入るのがとんでもなく上手い人たち』なんだと思います。

 

例えば、数学の天才だったら、それこそ睡眠や食事をするのさえ勿体ないというくらい自分達の脳のリソースを思考に割くわけじゃないですか。

その中でも名をはせた方々はそれを幼い頃からしているわけです。

つまり、下積みの時点で地が違うわけで、一見すれば僕らと別の世界の住民に見えるのは極々当たり前なわけです。

 

僕は良くゲームをやるのでこの例えを持ち出しますが、極端な話

 

10時間プレイした人と、1000時間プレイした人で実力が違うようなもんです。

 

例えばサッカーの天才プレイヤーであったり、音楽の天才であったり、美術の天才であったり……。

 

勿論、同じ1000時間プレイしたからといって、みんな実力が同じになるわけがないです。

練習方法やら、遊び方やら、向き合い方やらでプレイ時間が同じでも、実力が違うなんてことはざらです。

 

そんな平等に与えられた時間で、彼らは自分の世界にいつでも効率的に時間を注いでいる。

 

ここまで天才と連呼しておいてなんですが、僕は「天才」って言葉が嫌いです。

まぁ、恥ずかしいことにあるラノベの受け売りなんですが、「天才」って言葉は諦めの呪文だと思ってます。

 

彼らは天才だ。

自分達凡才とは違う。

彼らだからできた。

だから自分たちはできなくてもしょうがない。

 

それらしい論理ですよね。

 

でも、最も重要な一番下が間違ってます。

 

どんなにすげえ奴がいようと、自分達がそれを越えようと努力しない理由にはならないんですよ。

 

だって、天才って呼ばれる彼らだって、自分達と同じく努力して結果を勝ち取ってるんですから。

ある日、その辺に転がってた才能を拾って急にすごくなったわけじゃないんですよ。

 

と、やや熱くなりました。

 

まあ、僕自身、偉そうなこと言ってますけど、所謂努力ができない性分ですからね。好きなことに全エネルギー注いで疲れ果てておしまいです。

 

だから、別に努力しない方に説教しているわけじゃないんですよ。

 

ただ、本当にやりたいことがあって、自分にその才能がないと思っている人に、天才になることは無理でも、超がんばれば彼らに近づくことが出来る権利があるんだよ。

結果が出なくても、それだけ頑張れればすごいんだよっていう、助けになればなって思って書きました。

 

なんかの間違いで、これを読んだ人の救いに慣れればと思った次第です。

 

次回は努力に関してなんか書こうかな。それまでにそれっぽい本でも読んでおきます。

 

それでは今回はこの辺でー。